「論理的な人」と「温かい人」は、別の人として現れがちです
厳しく論理的な人と、温かく寄り添う人。多くの場合、この二つは別の人として現れます。ある受講生の方は、トレーニングを一言で「論理に裏付けられた手法とEKO先生の温かさ」と表現しています。この言葉は受講生の方お一人の感想であり、効果を保証するものではありません。
一見、相反して見える二つが、なぜ同じ場に同居できるのか。今回は、その理由を役割の側から整理します。両立の中身が見えてくると、この言葉が単なる褒め言葉ではなく、場の設計そのものを言い当てた言葉だったことが分かってきます。
論理は、感情を扱うためにあります
感情そのものは、目に見えません。けれども、ノートに書かれた言葉や、身体に出るサインには形があります。形のないものを扱うからこそ、手順の側には形が要ります。対話ノート、ボディサインに気づく練習、感情と思考を分けて見つめる視点。これらは、再現性を持って、誰にでも辿れるように体系化されています。体系化されているということは、特別な勘や才能に頼らなくても、順を追って辿れるということです。
大切にしているのは、論理の宛先です。教える側の中で閉じた論理ではなく、受講生が自分で扱えるようになるための論理として組み立てています。論理があるからこそ、感情を扱えます。
温かさは、論理が刃物にならないためにあります
温かさの中身は、受講生一人ひとりを「個別の物語を持つ人」として見ることです。マニュアルどおりに対応するのではなく、その人のその日の状態、その人のこれまでの歩みを大切に扱います。ハードルが高すぎたら、一緒に調整する。疲れているときは、そのまま受けとめる。同じ手順でも、その日の状態によって、ちょうどよい歩幅は変わるものです。だから、型のほうではなく、応じ方のほうを動かします。
こうした応じ方があるからこそ、論理的なメソッドも、受講生にとって「自分のため」の時間になっていきます。温かさを欠いたままの論理は、正しくても刃物のように働いてしまうことがあるからです。
両立そのものが、伝えたいことです
論理だけで生きようとすると、感情が置き去りになり、どこかで無理が出ます。感情だけで生きようとすると、流されやすくなります。目指しているのは、この二つのバランスが取れた状態です。
だから、論理と温かさの両立は、教え方の工夫である以上に、それ自体が伝えたい中身です。どちらかを選ばせるのではなく、両方が同じ場に成り立っている姿を、そのまま見てもらう。そのうえで、両立はできるのだという体感を、対話の時間から持ち帰ってもらえたら、と考えています。
スラトレ®は、自分の才能を、自分で扱えるようになるためのメンタル思考トレーニングです。いまの才能タイプと思考のクセが六角形で出る、30の質問を置いています。