早く証明して教えてほしい、と思う場面があります
体に何が本当に良いのか、早く研究で証明して教えてほしい。そう感じたことのある方は多いはずです。とても自然な気持ちですが、その手前には、研究の現場の事情があります。
医学研究者として、米国と日本の両方で活動してきた立場から、日本の研究環境と、それでも科学を大切にしたい理由をお伝えします。
研究に報酬が出ない、という前提
国内で医学博士を取得し、大学病院や研究施設で研究者として活動していた時期、研究そのものに対する報酬は0円でした。大学院生という立場もありました。一方、アメリカでは研究者に給与が支給され、研究費用も教授や準教授が責任を持って準備するのが当たり前の環境でした。優秀な研究者にはスポンサーが付き、生活が保障されるため、知的能力を思う存分発揮できます。
いまでも、かつての同僚たちは朝9時から夕方5時まで医療従事者として働き、その後、研究施設に移動して夜10時、11時まで研究に取り組んでいます。これが日本における医学研究者の現状です。日本で最も歴史ある科学研究機関の一つである理化学研究所でも、研究者の年収は300万円程度だと言われます。かつて理研に在籍していた親しい友人2人は、空き時間にアルバイトをしなさいと先輩から言われてきたそうです。
医療従事者と医学研究者は、同じではありません
医療従事者は、国家資格を取得すれば従事できる職業です。医学研究者には、大学院や研究施設での学びが求められます。卒業試験では、原著論文と呼ばれる、論理的に物事を証明する論文を作成する能力が問われます。医学博士になるには、複数の研究結果を総合的に評価する力も求められます。
ここが分かれ目です。多くの研究結果は有意な改善を示しますが、単一の研究だけで断定的な結論を出すことは難しいものです。この感覚は、研究に取り組む人と出会う機会がないと、なかなか育ちません。日本で論理的思考が苦手と言われることがあるのも、研究者の数が少ないことが一因だと感じています。
すぐに数字にならないものを、どう見るか
1000円出しても、1000円の商品が得られるとは限りません。芸術品の価値が1000円かどうかも一概には決められませんし、サイエンスやメンタルのトレーニングも、いつ1000円分の自己肯定感が得られるかはわかりません。1000円払ったら1000円分の脂肪を落としてくれるトレーニングもありません。
こうした分野は目に見えづらいものですが、そこに価値を感じられるかどうかが、人生の幸福度のカギだと考えています。一つの研究で決めない姿勢と、すぐに数字にならないものを扱う姿勢は、同じところでつながっています。どちらも、答えが出るまでの時間を、自分の側で持てるかどうかの話です。
効果が出たかどうかを毎週確かめる。その確かめ方が要らなくなります。答えが出るまでを、自分の側で持てるからです。数字にならない期間が、無駄な期間ではなくなる。誰かの結論を待って動いていたところが、自分の判断で続ける形になります。