強くあるべき人ほど、相談できずに消耗していきます
父も、親族も、医師でした。幼い頃から見ていたのは、人の命に関わる仕事の内側にある現実です。原因の分からない体の不調。誰にも言えないメンタルの限界。迫ってくる社会からのプレッシャー。
強くあるべき立場の人間ほど、誰にも相談できずに消耗していく。この現実は、自分が医師になってからも目の前で続きました。同じ職場の仲間が倒れていきました。後輩が過労で命を落としたという話も耳に入りました。遠い誰かの話ではなく、ずっとそばにある現実でした。
だからこそ、医師になりました。仕事の魅力や尊さに惹かれたというより、どこか流れのようなものを感じています。
手術のたびに、残った問い
医師になってからは、国内のトップレベルの医療機関で研鑽を積みました。整形外科の専門医として手術の最前線に立ち、一日に何件もこなす日々です。外から見れば絶頂期にあたる時期でした。
ただ、手術をするたびに、頭を離れない問いがありました。この人は、なぜここまで大きな怪我にならなければならなかったのか。そして、症状を取り除いても、根源にあるメンタルの課題そのものは変わっていないのではないか。
手術は必要な対処です。うまくいけば、その場の問題は片づきます。それでも、目の前の人がここへ至った道のりのほうには、手が届いていませんでした。2016年、この問いを抱えたままアメリカへ渡り、スタンフォード大学病院のPM&Rスポーツ医学診療部で研究医として過ごしました。世界の専門家たちと向き合う中で、問いは確信に変わっていきます。
たどり着いた答えは、「整う力」を支えること
20年以上の医療現場の経験と、そこでの学びを経てたどり着いた答えがあります。「本来の医療」とは、人間に本来備わっている「整う力」や「立ち直る力」を信じ、支えることです。
具体的には、二つの姿勢に分かれます。一つめは、依存ではなく土台づくりです。薬や手術に頼りきるのではなく、身体・心・生活環境のすべてに目を向ける。そのうえで、その人自身が人生を取り戻すための土台づくりを支えます。治すのが医療ではなく、自分で立ち直る力を支えるのが医療だという考え方です。
二つめは、症状ではなく根源を見ることです。症状を上から押さえるのではなく、その人を弱くしているものを根源から取り除いていく。この発想こそが、本来の力を取り戻す道だと今も考えています。
主役が誰かを、決めておく
この定義には、役割の割り振りが含まれています。医師は最初から最後まで脇役です。主役は、体を持っている本人のほうです。この役割の認識を持つことが、治してもらうから自分で立ち直るへの、最初の一歩になります。
医学に人生を捧げる、という言葉の意味も、時代とともに変わってきました。かつては治す医療が医師の役割の中心でした。症状が出てから対処する、手術・投薬・処置の医療です。一方で、慢性の疾患、心身の不調、生活習慣に関わるものの多くは、治すより支えることが求められる領域にあります。壊れる前に、思考・生活・体の使い方を整えるほうの医療です。
どちらが優れているという話ではありません。両方が要るというだけです。ただ、後者がこれまで見過ごされてきたという事実があります。だから、自分の健康は誰の責任だと思っているか、治してもらうと自分で整えるのバランスはどうか、症状が出てから対処する習慣になっていないか。この三つを、自分の言葉で答えてみる価値があります。医学は、本来、人の力を信じる学問です。
診てもらったあとに、自分の側でやることが残っている、と思えます。主役と脇役の割り振りが、先に決まっています。治してもらって終わる関わりから、預けた分と自分で持つ分を持ち帰る関わりへ。人の力を信じる学問だという言葉は、信じられる側に立ってはじめて意味を持ちます。