自分の書いたものに、いくらの値段をつけるか
自分の書いたnote記事に、いくらの値段をつけるか。500円か、1,000円か、それとも5,000円か。正解が分からないまま、結局は値段をつけないまま出してしまう。あるいは、誰かが書いた相場の記事を読んで、みんなこのくらいだから、と合わせてしまう。そんな場面があります。
これは能力の問題ではありません。20年、30年と臨床を積み上げてきた専門性は、外の世界でも価値を持ちます。ただ、その価値に自分で値段をつけるという発想そのものが、医療業界の中だけにいると育たない。構造の問題です。
値踏みする場面が、構造的にありません
並べてみます。診療報酬は、国が決めます。給与は、勤務先の組織が決めます。学会発表に、値段はつきません。研究は、価値を伝えることより、正確であるかが問われます。論文の査読も、講演の依頼も、原稿料も、相手方が金額を提示してくれます。
つまり、医師として10年、20年と働くなかで、これはいくらの価値があるかと自分で値踏みする場面が、構造的にほとんどないのです。値段は誰かが決めてくれるもの。それが業界の中での当たり前になります。だから、いざ自分の記事やオンライン相談や講座の価格を決めようとすると、何を基準にしていいか分からなくなります。
私自身も、長らく同じ世界にいました。それが変わったのは、シリコンバレーで投資の現場に触れたときからです。そこにあったのは、価値の見立てが日常の言語になっている世界でした。朝のコーヒーを飲みながら、これにいくら払うかが普通に話題にのぼる。研究の話をしていても、必ずどこかで、それは誰にとっていくらの価値があるのか、という問いが挟まる。最初は戸惑いましたが、しばらくその中にいて気づいたのは、値段をつける目線は生まれつきの才能ではなく、後から訓練できるものだった、ということでした。
値段を誰が決めるかで、4つの柱に分かれます
収入源を、値段を誰が決めるかという視点で整理し直すと、4つの柱が見えてきます。
柱1は、組織が値段を決める柱です。病院やクリニックでの診療から得られる臨床収入で、診療報酬は国、給与は組織が決めます。日本の医師の主な収入は、ここに集中しています。
柱2は、市場が値段を決める柱です。学会・市民講座・企業セミナーでの講演料、医学書や一般書や雑誌記事の印税、大学非常勤講師の給与、noteでの有料記事の販売、Kindle個人出版での書籍販売、YouTubeやPodcastでの収益化、メルマガや有料コミュニティの運営。高すぎれば誰も買わず、安すぎれば価値が伝わらない。読者や視聴者が値段の妥当性を決める場所です。
柱3は、自分が値段を決める柱です。個別相談、自分が設計したオンラインプログラムや継続会員制サービス、認定講座やプログラムの運営、企業の医療アドバイザリーやメディアの医療監修。産業医契約のような長期契約型もここに含まれます。価格を自分自身が判断する場所で、4つの中でもっとも訓練が要ります。
柱4は、資産が値段を生む柱です。株式・債券などの金融投資、不動産投資、自分が設立または出資した法人からの配当。直接働かなくても入ってくる収入がこれにあたります。
3つの収入源という言葉がよく使われますが、これは4つの柱すべてを揃える医師は少数で、多くは自分に合った3つを組み合わせている、という意味です。臨床と発信と投資。臨床と直接提供と投資。臨床と発信と直接提供。組み合わせは人によって変わります。
目盛りは、あとから育ちます
では、どうやって身につけるか。まず、自分がいい値段で価値を受け取る側を経験することです。高い本を読んで、これが3,500円の本かと自分の中で値踏みする。有料記事を買って、この情報に1,500円払う価値があったかと振り返る。有料の相談を受けて、90分でこの内容なら安いか高いかを体感する。逆に、費用のかからない情報だけを集め続けていると、量は増えても目盛りは育ちません。
ここでもう一つの壁が来ます。「誰に払えばいいかが分からない」という壁です。医療の中の言葉が通じない相手にいくら払っても、自分の専門性は翻訳されない。医療の中だけの人に払っても、外の論理には触れられない。その両方を兼ね備えた相手は、日本にはまだほとんどいません。だからこそ、稀な相手を見つけることそのものが、最短コースの一部になります。
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