見たくないのは、当然です
自分の感情の中身を見にいく作業は、気持ちのいいものではありません。
深い悲しみや孤独が、その横に隠れているからです。
見ないでいるほうが、日々はなめらかに回ります。
Dr.EKOはこの二つを、同じところに置いています。
毎日三食食べられてありがとう、で終わる日々と、ひもじい子どもにパンを渡すときに動くもの。
後者のほうを持って生きたいなら、その横に隠してあるものを見る必要が出てきます。
浅い付き合いのままでいることも、選べます。
Dr.EKOはそれをだめだとは言いません。
ただし、両方は残りません
裏で悪口を言いながら、表では親友と言い合う関係。
これはこれで成り立ちます。
長く続くこともありますし、その場が楽しいことも本当です。
ただ、自分の感情を扱いはじめた人とは、だんだん合わなくなっていきます。
悪口の席で、その悪口がどこから出ているのかが見えるようになると、同じ調子で乗れなくなるからです。
合わなくなるのは、どちらかが正しいからではありません。
話の噛み合う場所が、単に別のところへ移るからです。
移ると、人数は減ります
自分の感情を扱う側へ移ると、続く関係の数は減ります。
ここが、この選択のいちばん痛いところです。
減ることを見込んだうえで移るのか、いまの人数を保つほうを選ぶのか。
どちらもありますが、両方は残りません。
減らないまま深くなる道は、いまのところ見つかっていません。
減る過程は、静かに進みます。
誰かと決裂するわけではなく、誘われる回数が少しずつ減って、気づいたときには顔ぶれが変わっています。
減ったあとに、何が続くか
Dr.EKOのいまの交友関係は、当時より人数が少なくなっています。
その代わり、順調でない時期を知っている人たちです。
食事の席で、うまくいっていない話をそのまま出せる。
出しても、次に会うときの態度が変わらない。
人数が減ったあとに残るのは、その種類の付き合いです。
年に数回でも、前回の続きから話が始まります。
仕事の相談も、同じ相手にできます。
取り繕う必要がないぶん、話が本題から始まる。
一回の食事で決まることが増えます。
減ったあとの顔ぶれは、自分で選び直したものになります。
順調なときに集まってきた人ではなく、こちらが選んで残した人です。
そこまで行くのに何年かかかりますが、途中で戻る人はあまりいません。