コートの上では、点を取り合っている
バスケットボールは、点を取り合う競技です。相手より一点でも多ければ勝ち、少なければ負ける。ルールがそう決まっているので、コートの上にいるあいだは、相手を抜くことを考えます。それが正しい戦い方です。
やっかいなのは、コートを降りたあとです。試合が終わって着替えて外に出ても、同じ見方が続くことがあります。誰が試合に出たか、誰が何点取ったか。頭の中で並べて、自分がそのどのあたりにいるかを確かめる。
その見方のまま職場へ入ると、会議が試合になります。家に帰れば、家族との会話も試合になります。友人の昇進の知らせを読んで、うれしいはずなのに、みぞおちのあたりが少し重くなる。あとから自分を責める人もいます。
順位で位置を測ると、他人の成績が自分の点数になる
競争という枠の中では、自分の位置は相手との差でしか決まりません。だから相手が上がると、自分は何もしていないのに下がったように感じます。相手が下がると、自分が上がったように感じます。
この仕組みには、副作用が二つあります。ひとつは、他人の成功を素直に喜べなくなること。もうひとつは、自分より苦しそうな人を見つけたときに、少し安心してしまうこと。
どちらも、性格が悪いから起きるのではありません。順位で自分の位置を測る枠の中にいると、そう動くようにできています。枠のほうが、そう作られています。
協奏では、隣の人の音が自分の音を助ける
同じ人数が集まっても、合奏になると話が変わります。隣の人がよく鳴らすほど、自分の音も曲の中でよく聞こえます。相手の音を小さくして自分が目立とうとすると、曲そのものが崩れます。
協奏は、うまい人とそうでない人の差が消える話ではありません。差はそのまま残ります。変わるのは、自分の位置を測るものさしのほうです。相手との差ではなく、曲が成り立っているかどうかで測る。
共創になると、もう一段動きます。曲そのものを、その場にいる人たちで書く。誰かが用意した楽譜の中で順位を争うのではなく、楽譜のほうを一緒に作る。
長く一線にいる人たちの話を聞いていると、この場所にいることが多いようです。競争を勝ち抜いた結果としてたどり着いたというより、早い時期に枠を降りて、作る側へ移っています。
どの枠にいるかは、自分で選び直せる
いま自分がどの枠にいるかは、確かめる方法があります。人の良い知らせを聞いた三秒後に、体のどこが動いたか。胸のあたりが軽くなったなら協奏の枠、みぞおちが重くなったなら競争の枠にいます。
重くなったからといって、直そうとしなくて大丈夫です。重さは、自分がどの枠にいるかを教えてくれる合図です。合図が読めるようになると、そこから枠を選び直せます。
選び直したあとの一日は、静かです。同僚の実績を見ても、順位表が頭に浮かびません。かわりに、その人が何をやってのけたのかが見えます。人の話が最後まで聞けるので、仕事が早く進みます。夜、寝る前に誰とも比べていない日が、少しずつ増えていきます。