夜中の二時に、昼間は平気だったことが押し寄せてくる
夜中にふと目が覚めて、そのまま眠れなくなることがあります。昼間は気にもとめなかった一言や、何年も前のやりとりが、順番に浮かんできます。
夜中の考えごとには特徴があります。答えが出ないのに、止まらない。同じ場面を何周も回って、そのたびに少しずつ悪いほうへ結論が寄っていきます。
このとき、多くの人がその場で片をつけようとします。もう一度考え直して、納得のいく答えを見つけようとする。ところが夜中の二時は、判断の材料がいちばん少ない時間帯です。相手に確かめることもできません。だから回り続けます。
そして朝になると、たいてい大したことではなくなっています。夜中に出した結論は、翌朝ほとんど使えません。
その場で答えを出さず、あとで書くと決める
やり方を一つ変えます。浮かんできたことを、その場で片づけようとしない。かわりに、枕元の紙に短くメモします。「◯◯さんの返信」「三年前の会議」。それだけです。
そして「これは、あとでノートにぶつける」と決めます。決めるところまでが手順です。
不思議なことに、この一手で感情のほうが静まります。押し寄せてくるものが強いのは、行き場がないからです。行き先が決まると、いまここで処理しなくてよくなります。予定に入った用事は、頭の中で回り続けません。
これは我慢とは違います。我慢は、感じたものを無かったことにする作業です。ここでやっているのは逆で、感じたものを一件として受け取り、扱う日時を決めています。受け取ってもらえたものは、大声を出さなくなります。
ネガティブな考えは、これまでの守り手だった
翌日、ノートを開いて書いていくと、多くの場合そこには古い考え方が座っています。人に近づきすぎると裏切られる。頼ったら迷惑がられる。そういう言い分です。
こういう考えは、どこかの時点で本人を守るために作られています。実際に近づきすぎて痛い思いをした日があり、そのあと同じ痛みを避けるために置かれた見張りです。だから、悪者ではありません。
ここを取り違えると、書く作業が自分を責める時間になります。こんなことを考える自分はだめだ、と書き足してしまう。それでは一つも減りません。
書くときの姿勢はこうです。この見張りは、当時の私を守るためにいてくれた。もう持ち場が変わったので、ここまでで大丈夫です。感謝と、退場のお願いを、同じ紙の上に書く。
考えは百万個あるように見えても、一つ書き終えると、隣にいた何個かが一緒に静かになります。同じ古い見張りが、いくつもの場面を担当していたからです。
書ける人になると、夜が使える時間に戻る
ノートが手元にあると、夜中に目が覚めたときの扱いが変わります。回り続けるのを待つ時間ではなく、二行メモして寝直す時間になります。
これを続けた人が最初に気づくのは、朝の起きぬけです。前の晩に何を思い出したかを覚えていない朝が、少しずつ増えます。そのぶん午前中が長く使えます。
もう少し先まで行くと、人との距離の取り方が変わります。一人で過ごす夜が、誰かに埋めてもらう対象ではなくなるので、会いたい人に会いたいから会えるようになります。連絡が来ないことに意味を探さなくなり、返事が遅い相手にも普通に話しかけられる。寂しさが出てきた日は、それを書ける人になっています。