「結局、何回ですか」
適正な回数はどれくらいか。これは本当によく届く質問だと、元の記事は書いています。
案内には目安が出ています。初級は十から十二回、中級は八から十回、上級は六から八回。数字そのものは、あるのです。
そのうえで記事は、正直なところを書いています。本当の回数は、究極のところ誰にも分からない、と。
数字は出ていますが、言い切れません
理由は一つだと記事は書きます。本人の習熟の速さと、本人が目指す先に、まるごと左右されるからです。
同じ初級でも、自分に向き合うことに慣れている人なら、十回でぐっと変わることがあります。一方で、これまで一度も内側に向いたことがない人は、最初の数回は向き合う筋肉を起こすところから始まります。ここに個人差が出るのは当然のことだ、と記事は言います。
目指す先も人によって違います。トレーナーになりたいという人もいれば、初級の内容で自分の人生が回り始めれば充分だという人もいる。何を求めるかが定まらないと、回数も定まらない、という順序です。
早い人の例は、そのまま当てはめられません
記事には、実際にあった例が一つ載っています。翌月に海外の試合を控えた、本物のプロ選手からの申し出でした。来週から三日間で、という形です。
オンラインで、三日間の集中合宿のような形をとり、午前と午後に分けて合計六コマ。一回は九十分です。本人の言葉としては「ボールが光って見える」というところまで到達した、と記されています。一方、進めた側は四日目と五日目は昼間も寝ていたそうで、本物の体力と気力はすごい、というのが記事の感想です。
ただ記事は、すぐにこう続けます。これを慣れていない人に求めるのは違う、と。四十歳、五十歳になっても、たとえ心理学の専門職であっても、自分自身に向き合ったことがない人は本当にたくさんいる。早い例は、速さの基準としては置かれていません。
先に決まるのは、どう生きたいかのほうです
記事は、トレーナーが誰かを教育する、伸ばす、という言い方はおこがましいと書いています。するのは、本人の目指す先に向かって、逆算してプロセスを設計することだ、と。
だから先に決まるのは回数ではありません。どんな暮らしをしたいのか、何が満たされたら充分なのか。そこが言葉になると、回数のほうがあとから決まります。
記事に挙がっている例も、種類がそろっていません。キラッキラに生きてみたい。知的所得でこれくらいになりたい。最愛のパートナーと暮らしたい。どれでも構わない、というのが記事の立場です。
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