いつもならすぐに動き出す手が、ふと止まります——その日、何が起きていたか
朝、いつも通りに職場に着きます。
机に座ると、いつもならすぐに動き出す手が、ふと止まります。
何かが、おかしい。
いや、何も特別なことは起きていません。
やるべきことはいつも通り並んでいます。
今日もやることは山ほどある。
それなのに、最初の一つに手をつけようとした瞬間、身体が動かない。
胸のあたりがざわつく。
「いま動いて、本当に解決するのだろうか」という声が、どこからともなく聞こえる。
これまで20年、こんなことは一度もありませんでした。
困ったことが起きれば動く。
動けば道が開く。
それで全部やってきた。
けれど今日、初めて「動く」が手元から逃げていくような感覚があります。
夕方、会議室で、これまでなら即決していた案件を、判断保留にしました。
「もう少し考えさせてください」と言ったのは、自分の口でした。
会議室を出てから、心臓が早く打っているのに気づきます。
汗が出ています。
「決められなかった自分」が、信じられない。
帰りの電車で、窓に映る顔を見ます。
20年、迷わず動いてきた顔のはずでした。
それが今日、何かが違う。
電車の揺れと一緒に、胸の中で何かがゆっくり傾いていきます。
この日、何が起きていたのか。
それを、これからお話しします。
身体が「待て」と言うのです——その体験には、待つことへの違和感という名前があります
なぜ、こんな日が訪れるのでしょうか。
動けば解決するで20年やってきた人が、なぜ突然、動こうとした瞬間に身体が止まるのでしょうか。
これは、調子が悪いだけなのでしょうか。
ここで、ひとつ図を描いてみます。
水を入れたコップを、いつもの通り傾けて飲もうとします。
これまで何百回も、当たり前にできていた動作です。
ところがある日、コップを傾けた瞬間に、水がこぼれそうな気がして、手が止まる。
実際にはこぼれません。
20年同じ動作をしてきた手が、急にこぼすはずはない。
けれど、身体が「待て」と言うのです。
これは、コップが変わったのでも、手が衰えたのでもありません。
身体の中の判断装置が、これまでと違う警告を出し始めたのです。
20年動き続けてきた身体の中で、何かが「もう同じやり方ではダメだ」と知らせている。
その警告は、頭ではなく、身体に出てきます。
胸のざわつき。
手が動かない感覚。
喉のつかえ。
「動こうとすると違和感がある」「止まろうとしても落ち着かない」という、二重の苦しさが同時に来ます。
ここで、ひとつだけ言葉を共有させてください。
【待つことへの違和感】(Discomfort with Waiting)とは、止まっていると、何か悪いことが起きそうに感じる体感のことです。
この違和感は、じっと座っているだけで湧き上がってきます。
何も起きていないのに、不安だけが湧く。
この体感は、頭の問題ではなく、身体の問題です。
だから、「気の持ちよう」では消えません。
ただし、悪いことが起きているわけではないのです。
20年動き続けた身体が、初めて「待つ」を体験している。
その時に身体が出す自然な信号が、この違和感の正体です。
20年動き続けて、初めて疲れた——なぜ自分だけがそう感じるのか
「自分だけが、こんな違和感を抱えているのではないか」と感じる方が多いのですが、これは決して特殊な体験ではありません。
私が個別面談の場で経営者や医師の方々とお話ししてきた中で、ある時期に「初めて立ち止まる日」を体験する方は、決して少数派ではありませんでした。
多くの方が40代後半から50代にかけて、長年続けて来た”動き方”では、何かが足りなくなる瞬間を迎えていらっしゃいます。
ある経営者の方は、こう話されました。
「20年動き続けて、初めて疲れた。あの日、自分は壊れたのだと思って絶望した。けれど後から振り返ると、あの日は壊れたのではなく、これまでのやり方では足りなくなったと身体が教えてくれた日だった」。
別の医師の方も、同じようなことをおっしゃいました。
「ある日、外来で『動けない』という違和感が出た。自分が病気になったと思った。実際は病気ではなく、これまで30年休まなかった身体が、初めて休みを訴えていた」。
この体験を語る方の多くに共通していたのは、その日を「自分が弱った日」「壊れた日」として記憶していたことでした。
けれど、そうではないのです。
立ち止まる違和感を感じるのは、感受性が壊れているからではありません。
むしろ逆で、感受性が正常に働いている証拠です。
10年20年30年動き続けてきた身体が、「もうこのやり方だけではできない」と知らせるサインを出している。
それは、身体の声を聞き取る力がきちんと残っている証拠なのです。
身体の声が届かない人は、立ち止まる違和感も感じません。
違和感を感じてしまうあなたは、身体と対話できる感受性をきちんと持ち続けてきた人です。
初めて立ち止まった日から、毎日の過ごし方を自分で決める朝へ
初めて立ち止まった日が、長年続けてきた過ごし方を自分で決め直す朝につながっていくことを願っています。
朝、机に座って手が止まる。
夕方、決められなかった自分を責めながら電車に乗る。
ここからは、抜けられます。
抜けたあとは、決めない日をつくった夜に、自分でそう決めたと言えます。
翌朝、机に座ってすぐ動く日もあれば、動かない日もある。
どちらの日も、自分で選んで並べています。