痛みが来たとき、動いているのは体だけではありません
体を痛めると、まず困るのは動けないことです。ただ、そのとき動いているのは体の側だけではありません。
なぜ自分がこんな目に。痛くて夜も眠れない。こうした言葉が出てくるとき、感情のほうも大きく揺れています。診察室で繰り返し見えてきたのは、体の不調は心の動揺とほぼ組みになって来る、ということでした。
出てくる形は、だいたい決まっています。また動けなくなったらどうしよう、という先回りの不安。もう元には戻れないかもしれない、という落ち込み。人に迷惑をかけている、という後ろめたさ。なぜ自分だけが、という怒りや悲しみ。そして、人と会う機会が減っていくこと。
これは、弱い人にだけ起きるものではありません。体を痛めれば自然に出てくる反応として、そこにあります。
同じところが、何度も戻ってくるとき
肩の張りが取れない。腰の痛みが繰り返す。手術のあとのリハビリが思うように進まない。理由のはっきりしない疲れが続く。
こうした場合、無理をした、不注意だった、という表面の理由だけでは説明が足りないことがあります。ストレスや不安、考え方の癖が関わっていることも少なくありません。
体の側だけを手当てし続けると、同じところにまた戻ってくることがあります。心の側を置いたままにすると、かえって余計な負担をかけてしまうこともあります。
痛みを、知らせとして読む
痛みは悪いものだ、という前提を一度外してみると、見え方が変わります。無理をしているという知らせ。生活を見直す時機だという知らせ。気持ちのほうが先に限界へ近づいているという知らせ。痛みは、そのどれかを運んでいることがあります。
配分の目安を一つ置くと、扱いやすくなります。体を動かす時間を週に3時間とっているなら、気持ちを整理する時間を週に30分とる。書き出すだけの時間でも足ります。
症状が強くなった日を記録しておくのも、手がかりになります。並べる欄は三つです。ストレス。人との関係。仕事の繁忙期。この三つと重なっていることが多い、というのが診察室から見えてきたことでした。
全体を見てくれる相手を、一人
治療の選択肢は、いまでは大きく広がっています。手術や投薬という従来の西洋医学。リハビリテーション。漢方や東洋医学。整体やカイロプラクティック。認知行動療法やEMDRといった心理療法。運動療法や身体教育。生活の組み立て方から入るライフスタイル医学。選べること自体は前進です。
日本の医療には、高い水準と、国民皆保険の制度と、医師の勤勉さという強みがあります。その土台を持ちながら、体の治療だけで完結する時代は終わりつつある、という感触もあります。心のケアと、生活全体への視野と、自分で整える視点を重ねていく形です。
一方で、選べるようになったぶん、どれを選べばいいのか分からない、という新しい困りごとも生まれました。分野ごとの専門家は必要に応じて何人でも持てますが、体と心をまとめて見てくれる相談相手を一人持っておくと、選ぶときの足場になります。
ここまでが、体を痛めたときに一緒に起きていることの話です。
ただ、選択肢がこれだけ広がったなかで、何を基準に一つを選ぶのか。これは、体と心が組みで動くという話とは別の問いになります。
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