言葉にしただけで、空気が変わることがあります
仕事で長く付き合いのある同僚に誘われて、二人で店に入る。近況の雑談がひと段落したあと、ふと、こんな話をしてみる。「最近、自分で何か始めてみようかなって、思ってるんだよね」。
一瞬、空気が変わります。相手は笑顔のまま、でも少しだけ声のトーンを落として言います。「お前、そんな余裕あるの?」「うちの病院でそれ言ったら、たぶんちょっとざわつくよ」。笑い話のまま、その話題は流れていきます。でも、家に帰ってから、なぜか、その凍った空気だけが頭に残ります。
まだ何かを始めたわけでもない。考えてみようかな、と口に出してみただけ。それなのに、その言葉が現場の空気の中では軽く扱われない。そう感じる感覚は、まったく正常です。日本の医療従事者には、副業や独立を言いづらく感じる三つの強い構造があります。
構造の一つ目は、たての階段です
医師の世界には、医局と呼ばれる仕組みがあります。大学医学部の各専門科を中心にした、たての関係です。教授がいちばん上にいて、その下に准教授、講師、助教、若手医師という階段が長く伸びています。医局は、若手医師の臨床訓練、勤務先の決定、専門医資格の取得サポート、研究の機会と、キャリアに要る要素をほぼすべて担ってきました。悪い仕組みではありません。質の高い臨床訓練を体系的に届けられる強さがあります。
そして、たての階段は医師だけの話ではありません。看護師の世界にも、師長、主任、認定看護師、専門看護師という階段があります。理学療法士や作業療法士の世界にも、学会ごとに認定資格、専門資格、指導者資格という階段が伸びています。薬剤師の世界にも、管理薬剤師、認定薬剤師、専門薬剤師があります。
階段の中での評価は明確です。正しい順番で、正しい段をのぼる人が評価されます。だから、階段から降りたらチームに申し訳ない、次の段に上がる予定だった人にも迷惑がかかる、と感じます。これは心が弱いからではなく、階段の中にいる人なら誰でもそう感じるように設計されたチームの形だからです。
二つ目は安心の屋根、三つ目は家族のような職場文化です
二つ目は、国民皆保険制度です。誰でも、どこの病院でも、同じ料金で医療を受けられる。医療従事者の側から見ても、これは安心の屋根です。患者さんの懐具合を気にしながら料金を提示しなくてよい。診療報酬は国が決め、給与は組織が決めます。
ただ、屋根の下にいると雨にも風にも当たりません。だからこそ、外の天気の見方が身につきません。十年、二十年と働くなかで、これはいくらの価値があるかを自分で値踏みする場面は、構造的にほとんど訪れないのです。これは個人の能力の問題ではなく、屋根の性質の問題です。
三つ目は、家族のような職場文化です。うちの病棟、うちの薬局、うちのチームという言い方を自然にしています。同期と何十年も顔を合わせ、若手を「うちの子」と呼び、新人を家族に迎え入れるように受け入れる。この温度が日本の医療の質を支えてきました。ただ、その中で「家の外に、自分だけの場所を持つ」という話を切り出すのは難しく、家族に申し訳ない、と感じやすくなります。
三つが重なると、道が一本に見えます
たての階段、安心の屋根、家族のような職場文化。この三つが組み合わさると、典型的な道のりはこうなります。決められた階段を、屋根の下で、家族と一緒にのぼっていく。この道から外れることは、どの面から見ても心理的な抵抗を生みます。
近年、厚生労働省も副業・兼業の促進に関するガイドラインを出していて、制度の上では副業ができる医療機関は増えています。それでも文化の空気は、制度の変化より、ずっとゆっくり変わります。動けなかったのは意志の弱さではなく、三つの強い構造への、ごく自然な反応です。
そして、抜け方には前提があります。構造の外に出る必要はありません。階段の中にいながら、自分の小さな活動をひとつ持つ。屋根の下にいながら、屋根の外の天気の見方を少しずつ学ぶ。家族の中にいながら、家族の外にも自分の名前で動く時間を持つ。いまの場所を大切にしながら、その横に、もうひとつ自分の場所を作る話です。
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