「生きてみないか」という言い方
スラトレ®には、「せっかく生きるのなら、スライバーで生きてみないか」という一文があります。命令ではなく、問いの形で置かれています。
この問いは、多くの方と向き合ってきた経験のなかから、静かに育ってきたものです。がんばって走り続けるファイター。なんとか乗り越えようとするサバイバー。そうした生き方の先に、もう一つの景色があります。
それがスライバーという生き方です。自分のなかから湧き出るエネルギーで、残りの人生をキラッキラに生きる。その景色を、一人でも多くの方に届けたいと願ってきました。
「せっかく」という前置き
「せっかく」とわざわざ前に置くのには、理由があります。人生は一度きりで、時間にも限りがあります。その限られた時間をどう生きるかは、一人ひとりに委ねられています。
ただ生き延びるだけでなく、自分の花を咲かせながら生きる。そういう選択肢もある、と伝えたい。「せっかく」という言葉には、読み手への温かい尊重と、そっと背中を押す優しさが同居しています。
キラッキラは、常に笑顔でいることではありません
スライバーは、特別な才能を持った人ではありません。自分の感情と思考を扱いながら、ありのままの姿で花開く人のことです。
キラッキラに生きるとは、常に笑顔でいることではありません。悲しみも怒りも含めて、自分のなかの全てと繋がって、いきいきと生きていること。ここで描かれているスライバー像は、演じる明るさではなく、内側から湧き出る輝きのほうです。
決めるのは、受け取った側です
「スライバーになりなさい」と命じることはしません。「スライバーで生きてみないか」と、問いを置くだけです。
これは、答えは自分の中にある、という考え方の延長にあります。スライバーになるかどうかを決めるのは、受け取った本人です。差し出されるのは選択肢だけで、あとの判断は尊重されます。この立ち方そのものが、スラトレ®の姿勢を物語っています。
いま疲れている時期かもしれません。自分が何を望んでいるのかわからなくなっている時期かもしれません。それでも、読み手のなかにスライバーの種がある、と信じています。この旅に決まった答えはありません。ただ、問いに向き合う時間そのものが、少しずつ人を変えていきます。
ここまでが、なぜ命令ではなく問いの形なのか、という話です。ただ、問いを置かれた側には、次の一手が残ります。ここで区別したのは、演じる明るさと、内側から湧き出る輝きの二つでした。いま自分に出ているのがどちらなのかは、また別の話になります。
その見分けを、どこでつけるのか。これは問いかけの形の話とは別の問いになります。
スラトレ®は、自分の才能を、自分で扱えるようになるためのメンタル思考トレーニングです。いまの才能タイプと思考のクセが六角形で出る、30の質問を置いています。