朝起きたとき、すでに疲れている気がする——数値が正常でも「疲れる」のはなぜか
健診の結果が返ってきた。数値はすべて正常範囲。でも、なぜかすっきりしない。疲れが取れない。朝起きたとき、すでに疲れている気がする。
そんな経験はありませんか?
整形外科専門医・産業医として多くのエグゼクティブと向き合ってきた中で、気づいたことがあります。
「体の疲れ」と「精神的な疲れ」は、別の場所から来ている場合があります。そして後者は、休んでも取れないことがある。
眠る時間を増やしても、横になる時間をつくっても、その感じが残ります。そういうときに動いているのは、体の疲れとは別のものかもしれません。
休んでいるのに、頭の中は休めていない——私がバーンアウトで倒れたとき
私自身もかつて、バーンアウトで倒れた経験があります。当時は労働しなければ収入が止まる仕組みしか持っていなかった。休んでいるのに、頭の中は休めていない——あの奇妙な状態を、今も覚えています。
体は横になっているのに、頭のほうが止まっていない。休むことが、休むことになっていない状態です。
「精神的自由」とは何か
精神的自由とは、お金や時間の状況に感情が左右されない状態のことです。
収入への不安がある限り、どれだけ体を休めても精神は休めない。これは根性論でも気合いの問題でもなく、構造の問題です。
お金や時間の状況が動くたびに、気持ちのほうも一緒に動いてしまう。そこから離れていられる状態が、精神的自由です。
3つが揃ったとき——経済的自由・時間的自由・精神的自由
経済的自由・時間的自由・精神的自由の3つが揃ったとき、はじめて本当の意味での「回復」が起きやすくなると感じています。
経済的自由は、稼ぐ能力。時間的自由は、余白をつくる力。精神的自由は、心の自律。この3つをまとめて、スライバーが持つ3つの自由と呼んでいます。
3つは独立した要素です。どの順番からでも、自分のバランスで進められます。
健診の数値が正常でも、何かが満たされていない感覚がある。そのときに見る場所は、体の側だけとは限りません。お金や時間の状況に、いまの感情がどれくらい引っぱられているか。そこを見てみると、休んでも取れない疲れの原因が、少し見えてきます。
休んでも取れない疲れに、名前がつきます。体の問題として抱えていたものが、時間やお金との距離の話に変わります。
原因の分からないまま耐える日々から、どこを動かせば軽くなるかを見て動く日々へ。疲れの原因が分かると、休み方まで自分で選べます。