来院する選手は、二つに分かれます
一つは、偶発的な事故による急性外傷です。ふとしたアクシデントで怪我を負った場合で、軽度の擦り傷から、手術を要する骨折まで含みます。この方たちは、その後に再び受診する必要が下がっていき、医療機関との関わりが自然に終わっていきます。病院に用がないほど元気だ、という嬉しい型です。
もう一つは、運動器に反復性の症状が出て、何度も受診される方です。医療機関にとって、こうした再来院の増加は必ずしも望ましいことではありません。怪我が完治に至っていないという意味だからです。関節や腱に繰り返し起こる痛み、調子がいいときは痛くないのに調子が悪いと途端に痛む症状。一度痛むと気分まで沈むほどで、精神状態にも影響が及ぶことが分かりました。
だから、落胆した表情で来られた選手には、まずこう声をかけるようにしています。怪我をしたのは君のせいじゃない。これまでひとりで本当によく頑張ってきた。
体だけを診ても、大元が止まらなければきりがありません
全国的に有名な強豪校のバレーボール部で、月刊誌に常に名前が載っていたエースの例があります。足関節の後方が痛んでジャンプが難しい、という訴えで来られました。アキレス腱に障害が及んでいる状況です。
こうした外傷への一般的な対応は、患部への注射や、理学療法士によるリハビリテーションです。重症例では手術が必要になることもあります。その過程を終えて練習復帰が許可され、数か月後にまた来られました。今度は膝が痛む、と言います。表情が異常に暗く、目も合いません。話を聞くと、全国大会が近くて練習量が急に増えて、嫌になった、と。捻挫ぐせと言うように、怪我をする癖ができていました。
メディアで見かける魅力的な選手やトップアスリートも、実は心理的な問題を抱えています。その問題が、繰り返し体に外傷を起こす要因になっています。根底にあるのは固定観念、特に否定的な固定観念による自己肯定感の低下です。体だけを診ても、そこが動かないかぎり、また戻ってくることになります。
運動能力の土台は、思考力です
運動神経を良くするには、思考力を良くする。これが大前提だと考えています。競技技術の向上だけに注力し続けるかぎり、本当の運動能力の向上は望めません。感情や思考の基盤を整えることで、自然に技術が伸びていく。結果として、それが最も効率的な道になります。
人は幸福を追求するために生きていて、幸福は感情や思考を通して感じるものです。だから選手の感情や意見を、宝物のように大切にする必要があると考えています。
近年のスポーツ界では、競技成績への過度の注目から、短期的な技術向上に偏った指導が行われがちです。やがて競技生活を終えて一般社会で生きていく個人としての、心身の基盤づくりが軽視されている子どもたちが多くいます。そして成人後、スポーツには外傷がつきものだ、という誤った認識が広がることになりました。スポーツは楽しくない、苦痛に耐えることだ、という認識も同じ場所から出ています。本来は、楽しく、幸福をもたらし、自己成長を遂げるためのものだったはずです。
競争していい場には、条件があります
競争はもう要らない、というのが行き着いた結論です。より正確には、競争を楽しむべき場を明確に選び、それ以外の生活や環境では競争を避けるべきだ、ということです。本来の競争すべき場で競争したい人は、存分に競争すればよい。競争すべきでない場では、絶対に競争を避ける。ただし、常に他者と比べる習慣や、叱責されるのではないかという不安を抱えていると、この区別は非常に難しくなります。
競争すべき場とは、単に公平なルールが存在する環境のことです。条件は七つあります。世界標準のルールを採用し、その場だけの局所的なルールを使わないこと。競争の前に、競争を楽しむマインドセットを作っておくこと。決して個人の人格を攻撃しないこと。場を離れたら競争の話題を持ち出さないこと。相手が競争に応じないなら強要しないこと。年齢差、体格差、性別差、経歴の差といった競技に関係のない要素を持ち込まないこと。そして場を離れたら、感謝と友情と愛情を持って相手を尊重すること。
当てはまる場としては、試験の得点競争、暗記コンテスト、料理コンクール、そしてスポーツが挙がります。共通しているのは、公平なルールが必ず存在することです。スポーツは単なる競技ではなく、文化や芸術としての側面を持っています。
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